2000年初頭に 保育園に通えたということ
- Naomi Iida
- 2017年10月5日
- 読了時間: 3分
2017年現在、私の子供は私立小学校の受験を経て、勉強に趣味に、と人生を歩んでいます。
私は、子供が生後4か月になったときから、保育園に預け、生後8か月でフルタイムの仕事に復帰しています。子供が生まれたときに、所属していた会社には、フルタイムで復帰出来ないと通知され、結婚していること、子供がいること、を、条件に問わない外資系の会社に転職したのです。この話は、また別にいたします。
当然、子供は保育園育ちです。当時、都心で保育園に子供を預けることが出来たのは、ごく一部のお母さま方だけでした。医師、国家公務員、法曹関係者、会計士や税理士、公的な金融機関にお勤めの方、教師など。
私も資格を持って働いていた事が、入園の助けとなりました。
普通の企業にお勤めだったお母さま方の殆どは、お仕事をお休みになるか、自分の希望とは異なる道を選ばざるを得ませんでした。
そのため、幼子を保育園に預けて働く母親、というのは、その時代に社会に必要と判断された方々である一方、働かなくてはならないお母さまが当然いらっしゃるわけで、認可保育園のお教室には、様々なお考えやバックグラウンドをもつ子供たちが溢れていました。
今、少子化に歯止めをかけるため、待機児童解消のため、と、到達しようとする目的はある程度一緒ですが、保育園が整備されていないから何とかしてほしい、と、誰もが堂々と言える時期となりました。
ですが、一度振り返ってほしいのです。
自分がお腹を痛めて産んだ可愛い子供を、人に託して働く、ということは、まだ当時珍しく、身を切るような苦悩をその裏に抱えていたという事。これは母性本能との闘いでもあります。
仕事と子育ての重要性を天秤にかけて、なんとかバランスをとろうと、日々苦闘したこと。
偏った世間の目もありました。心ない言葉を耳にしたこともあります。
続けたい仕事を諦めて、子育てに専念したお母さま方たちが沢山いらしたということ。この方たちは、今でも、心に抱えるものがあるのではないでしょうか。
ほんの十年の違いで、随分と、様々な方々の、環境が、人生が、変わっているということを、心に留めていかなければならないと。
そして、私の場合は、保育園に子供を預けさせていただくことは、大いなる苦痛と、その反対側に、自分と子供の幸運・強運に対する感謝があり、
私と同じように、働き続けることのできなかったお母さま方の思いの分も、働こう、という思いとなり、結果として、自分を励ますこととなりました。
幼子を、保育園に託して、働くという事。これは、女性としては、何かを失い、何かを得るということであり、その考えや経験のプロセスを、飛び越えないようにしてほしいと願います。
人生は様々です。
私の子供にとって、そして、私にとって、今は保育園に通えたことは、有り難いことですが、
本当の結果、というか結論は、もっと後になってから分かるのだろうと思っています。
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